適当に日記や独り言をかいています。
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一言節約術
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ニュース
デトロイト(ウォール・ストリート・ジャーナル)米自動車大手クライスラーは、連邦破産法11条の適用申請からわずか1カ月後の1日にも再建手続きを完了する見込み。マンハッタンの米連邦破産裁判所のアーサー・ゴンザレス判事は同日、クライスラーの資産の大半を提携パートナーであるイタリアのフィアット(F.MI)に売却する案を承認する見通しだ。
同判事は29日、フィアットへの資産売却に関する最終弁論を開いた。
クライスラーの再建手続きの完了は、同社の再建を監督し、1日に米ゼネラル・モーターズ(NYSE:GM)に破産法の適用を申請させる計画の米政府にとっては勝利となる。
社名を「クライスラー・グループ LLC」とする再建後のクライスラーは、新しい持ち主、すなわち米政府、カナダ政府、全米自動車労働組合(UAW)が運営する退職者向け医療信託基金、フィアットの手に渡る。閉鎖予定の多数の工場などを含むクライスラーの資産の一部は、当面は引き続き破産管財人の管理下に置かれる。
新生クライスラーの株式は、フィアットが20%を取得する。フィアットは、米国での新エンジンの製造や、ガソリン1ガロンで40マイル以上走行できる燃費の良い自動車の導入など、一定の目標を達成した場合には、持ち株比率を35%まで引き上げることができる。クライスラーが米財務省から受けた数十億ドルの融資を返済できれば、フィアットには持ち株比率を51%まで引き上げる権利が与えられる見通し。
UAWの医療信託基金はクライスラー株55%を取得する。そのほか8%は米政府、2%はカナダ政府が保有することになる。約1カ月の破産手続き期間中、両政府はクライスラーに合わせて49億ドルを融資した。
一方、2007年にクライスラーを74億ドルで買収した米投資会社サーベラス・キャピタル・マネジメントの持ち分はすべてなくなる。
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京都市西京区の松尾山山中に、文献に記されていない平安時代前期(10世紀初頭)の未知の寺跡があることが、28日までに立命館大の学生でつくる考古学研究会の調査で分かった。仏堂や僧坊などが立ち並ぶ大規模な山林寺院だった可能性があるという。
■大規模造成、内裏と同型瓦も
寺跡は松尾大社から600メートルほど北西の標高約170メートルの山中にある。昨年秋、研究会が桂川右岸の松尾山古墳群の分布・測量調査を行った際、平たん部分に瓦などの遺物が大量に転がっているのを発見した。その後、現地を視察した京都市文化財保護課が寺跡であることを確認した。約3万平方メートルの敷地に、建物を建てるために人工的に造成したとみられるひな壇状の平たん地が9カ所あった。礎石の可能性のある直径1メートル程度の石も見つかった。
瓦の一つは、平安宮内裏跡で見つかった瓦と同じ型で作られ、西賀茂・河上瓦窯の銘が入っていた。水の祭りに使われた可能性のある瓶子(へいし)、緑釉陶器も出土した。いずれも10世紀初頭のものだった。ごく短期間存続した寺とみられるが、該当する寺は文献史料には見当たらない。
会長の原田昌浩さん(21)=文学部2年=は「すごいものを見つけて感動した。瓦があった時には鳥肌が立った」と喜びを話す。
顧問の高正龍教授(考古学)は「平安宮と同じ瓦があることから国や有力貴族が関係する可能性が高い。また神仏習合が盛んになる時期でもあり、松尾大社の神宮寺の可能性もある」と話している。
■山林寺院 都囲み存在
山林寺院に詳しい京都市の梶川敏夫文化財保護課長(考古学)の話 寺があったのは間違いない。学生さんがよく見つけてくれた。ただ建物基壇の跡がなく、寺の規模など不明な点が多い。平安京の東や北では山林寺院が多く見つかっているが、西が空白になっていた。都を取り囲むように山林寺院が建てられていたことを示す発見だ
■大規模造成、内裏と同型瓦も
寺跡は松尾大社から600メートルほど北西の標高約170メートルの山中にある。昨年秋、研究会が桂川右岸の松尾山古墳群の分布・測量調査を行った際、平たん部分に瓦などの遺物が大量に転がっているのを発見した。その後、現地を視察した京都市文化財保護課が寺跡であることを確認した。約3万平方メートルの敷地に、建物を建てるために人工的に造成したとみられるひな壇状の平たん地が9カ所あった。礎石の可能性のある直径1メートル程度の石も見つかった。
瓦の一つは、平安宮内裏跡で見つかった瓦と同じ型で作られ、西賀茂・河上瓦窯の銘が入っていた。水の祭りに使われた可能性のある瓶子(へいし)、緑釉陶器も出土した。いずれも10世紀初頭のものだった。ごく短期間存続した寺とみられるが、該当する寺は文献史料には見当たらない。
会長の原田昌浩さん(21)=文学部2年=は「すごいものを見つけて感動した。瓦があった時には鳥肌が立った」と喜びを話す。
顧問の高正龍教授(考古学)は「平安宮と同じ瓦があることから国や有力貴族が関係する可能性が高い。また神仏習合が盛んになる時期でもあり、松尾大社の神宮寺の可能性もある」と話している。
■山林寺院 都囲み存在
山林寺院に詳しい京都市の梶川敏夫文化財保護課長(考古学)の話 寺があったのは間違いない。学生さんがよく見つけてくれた。ただ建物基壇の跡がなく、寺の規模など不明な点が多い。平安京の東や北では山林寺院が多く見つかっているが、西が空白になっていた。都を取り囲むように山林寺院が建てられていたことを示す発見だ
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